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訴訟大国で裁判に巻き込まれた話(後編) - U.S.A -

No.392/2010.08
法務部/ 川村 了
画:クロイワ カズ

当社の新技術が米国T社技術の模倣であると提訴されて、行われた予審の3日目。ニューヨーク連邦地裁の薄暗い一室で、美人裁判長の低いが張りのある声が響きわたりました。

「私は専門家ではないが、2つの技術が同じものだとは認められない。T社の仮差押えの請求は却下する。また、高度に技術的な論点を素人の陪審員が判断できるとは思えない。速やかに和解することを勧告する。」

T社側の弁護士たちは口惜しそうに唇を噛み、当社の主任弁護士は小さく「ビクトリーだ」と呟きました。

しかし、これで終わったわけではありません。後日、和解のための調停が行われました。場所は遠く離れたカンザス・シティのホテル。雑音が入らないようにとの配慮からでした。当社からはM弁護士と私が出席。T社からも弁護士が来ました。裁判所が選んだ調停人は年配の元連邦裁判官。その人の経歴を見てびっくりしました。何と、WF大学から名誉博士号を授与されています。先方も私がWF大学の出身と知って驚いた様子でした。まさかそのことが効いたわけではないでしょうが、2日にわたった調停は当社に有利な形で終わりました。

調停人と双方の弁護士が合意書にサインを終えたとたん、張り詰めていた緊張感が一気に抜けていくように感じました。

「日本に帰ってもしっかりやれよ。マイ・サン(我が息子よ)!」別れ際に大先輩の調停人がかけてくれた一言にもしびれてしまいました。

あれから10年。つい先日、ニューヨークのM氏からあのときの調停人の方が亡くなったと連絡がありました。

「マイ・サン」と呼びかけてくれた、あの笑顔を思い出しながら、私は1人、頭を垂れて御冥福を祈りました。