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他人の不幸を我がことのように感じた話 - U.S.A. -

No.469/2017.01
総務・人事室 法務部/ 齊藤 圭亮
画:クロイワ カズ

この夏、米国のサマースクールを体験してきました。コネチカット州のイェール大学。1701年の設立で、歴代の米国大統領を数多く輩出した名門校です。私は米国の法律を学ぶコースを選びました。このコースには、世界各地から30名ほどが参加。大体は各国1~2名ですが、トルコからは女子学生4名の参加があり注目を集めました。午前中は法律の勉強ですが、午後は学生同士のディスカッション。

トルコ人は親日的で、1人は日本語の勉強中とか。直ぐに彼女たちと仲良しになりました。ディスカッションのクラスでは、30人の学生は3グループに分かれました。トルコのお友だちでは、日本語を学ぶDさんの他にEさんが同じグループでした。数日後、教室に入ると先に来ていたDさんが「これ、見て」とPC端末の画面を指差します。覗いてみると、「イスタンブール空港でテロ」の見出しで、混乱した空港の様子が映っています。

「36人も死んだのよ。私たちの知っている人も居るかもしれないわ」奇麗な英語も半分涙声です。ぼんやり画面を眺めていた私は、これが今、現実に起こっていることだと気付いた途端に、驚きと悲しみの入り混じった感情が込み上げてきて言葉が見つかりません。

このテロ事件はアメリカでも大きく報道されたこともあり、その後教室に入って来られた教授からは、2人のトルコ人学生に対してお見舞いの言葉がかけられました。家族の安否が話題になると、Eさんが口を開いて、「実は身内が空港で働いています。安否はまだ確認できていません」と、泣き出しそうです。

結局、後日この方の無事は確認されたのですが、普段なら遠い世界の出来事なのに、とても他人事とは思えませんでした。