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「翼」第4号:地域の顔


地域の顔

渡邉輝弘さん-取材時

渡邉輝弘さん-取材時
約3時間にも及ぶ長時間のインタビュー

大人の社会派ツアーのパンフレット 大人の社会派ツアーのパンフレット

このコーナーでは『地域の顔』として活躍していらっしゃる方々にお話を伺います。
今回は、宇部興産(株)OBで「産業観光ツアー」のエスコーターとしても活躍されている渡邉輝弘さんです。

-渡邉輝弘さんってどんなひと?

大人の社会見学「産業観光ツアー」仕掛け人のひとり。昭和30年に宇部興産(株)宇部セメント工場に入社し、セメント一筋の会社人生の中、宇部興産と宇部市の発展、そして日本の高度経済成長を肌で感じてこられました。ご自身の生き様を語るような独特な案内で、ツアー参加者を魅了しています。

-「産業観光ツアー」が生まれた経緯は?

宇部興産を退職し、宇部商工会議所の専務理事をしていた時期でしたが、山口県観光連盟と山口県観光交流課の方に【宇部の産業史】みたいな話をしたんです。ほんの世間話程度に。そうしたら、えらく感動して下さって、「コレ、宇部の目玉になりますよ」なんて言うじゃないですか。そこから、色々な人たちを巻き込んで、試行錯誤しながら作り上げました。当時は「産業観光ツアー」なんて認知されていませんから、産みの苦しみは相当なものでしたよ。

-軌道に乗せる自信はありましたか?

実は、【宇部の産業史】という商材には、かなり自信がありました。私は、平成10年に発行された『宇部興産創業百年史』という本に、非常に感銘を受けまして、自分でも色々と文献を調べていたのです。『宇部市の工業発展過程』という名の本みたいな資料まで作りましてね。数奇な発展を遂げてきた【宇部の産業史】には、神がかり的な魅力がありますよね。

-「産業観光ツアー」の魅力は?

目に映る景色が入口となり、その奥に秘められた歴史の世界に皆さんをご案内できるところでしょうね。激動の昭和を生き抜いてきたエスコーターたちの体験談が、歴史の世界をよりリアルなものにします。時を超えた大人のための社会見学が、「産業観光ツアー」の真髄なのです。

こぼれ話

渡邉瑛弘さん-エスコーター
産業観光の案内をしているところ

今回、約3時間にも及ぶ渡邉輝弘さんとの対談の中で、テーマ以外にも貴重なお話をたくさんしていただきました。こぼれ話では、項目毎に少し詳しい内容を書いてみましょう。

- 宇部発展の原動力 -

江戸末期の1864年、長州藩が京都で起こした武力衝突「禁門の変」により、宇部の領主福原越後は責任を取って自刃しました。この事件により、宇部の村人は周辺から蔑まれることになるわけですが、一方で、村人とりわけエネルギー溢れる若者たちの間に固い絆が生まれます。若者たちの団結力と「なにくそ」という強い信念が、宇部発展の原動力になったのだと思います。逆境が優秀な人財を生み、そして育んだということですね。

- 渡邊祐策 -

知れば知るほど、人間の能力を超越した何かを持っておられる方という感じがしてきます。「宇部興産60年の歩み」(宇部時報社)で松永勝蔵さんが述べられていますが、まだ石炭がどんどん掘られている昭和初期に「爺らが代には炭を掘りつくして、おまらァの時には何にもないと孫にいわれちァならん、長う続く仕事ものこしておいてやらにゃ」と言われたそうです。人間臭い言いまわしの中に、遠い将来を見据えたビジョンがハッキリ見えますよね。これが「共存同栄」「有限の鉱業から無限の工業へ」という宇部興産の創業理念に繋がるわけです。

- 有限の鉱業から無限の工業へ -

祐策翁の「長う続く仕事ものこしておいてやらにゃ」という言葉から【正統派の】セメント事業と【革新派の】化学事業、二つの卵が産まれました。セメントの主原料である石灰石が地理的に容易に手に入り、燃料の石炭や粘土などの副原料も近くにあるという条件の中、セメント事業への進出は比較的順調でした。一方、カロリーの低い宇部炭を化学事業に使うというのは、まさに冒険で、周囲には大反対されていたようです。祐策翁は宇部炭からアンモニアを合成し、硫酸アンモニア(硫安)を製造するという事業を計画しますが、問題が山積し、まさに逆境という状況でした。昭和7年、課題解決に向け、俵田明と大山剛吉の技術者2名を、ヨーロッパへ派遣した際、餞別として渡した扇子には「かたしとて思いたゆまば何事もなることあらじ人の世の中」という明治天皇の御製が記されています。「困難を乗り越えて来い」ということなのですが、見方を変えれば「言い訳は聞かんぞ」ということですよね。強い意志を感じる言葉が、若い技術者たちの心を震わせ、彼らの奮闘により、化学事業は何とかモノになりました。そして、今日でもセメント事業とともに宇部興産を支えています。祐策翁には、実は将来が見えていたのかも知れませんね。

担当者から一言

実に面白い取材でした。まるで、渡邊祐策翁と同じ時代を生きてきたように、細かい描写やエピソードを交えてお話される姿に、祐策翁を尊敬する気持ちと宇部への郷土愛の強さを感じました。ご自身が苅田セメント工場長や宇部興産海運株式会社の社長を経験しておられることも、リーダーとしての渡邊祐策翁に思い入れるキッカケになったのかも知れません。これから、リーダーを目指す若者にこそ、聞いてもらいたいような話ばかりでした。
(担当:吉永 龍男)