MENU

「翼」第10号:宇部興産物語


宇部興産物語

宇部興産創立の日(琴崎八幡宮にて) 宇部興産創立の日(琴崎八幡宮にて)
宇部興産株券 宇部興産株券

大統合で、宇部興産

この写真は、宇部興産創立の日に撮られた1枚です。昭和17年(1942年)3月10日、経営幹部が琴崎八幡宮に神前奉告を行いました。戦争の最中であったこの頃、日本政府は諸法律を制定し企業活動を全面的に統制していました。例えば石炭配給統制法により、石炭の売却先は日本石炭に限られたため、企業は産出先が一定しない石炭を使わざるを得なくなりました。宇部炭を前提でプラントを設計し、その運転条件を設定している宇部セメント製造と宇部窒素工業にとってこれは非常事態のこと。生産に著しい支障があるからと商工省に掛け合い、沖ノ山炭鉱を加えた3社が合併することで同社を経ない直接送炭がようやく認められました。ところが石炭に続き、セメント業界においても問題が発生。商工省からの条件を実現することでこれを解決したものの、戦時下に事業を維持・存続させるためには、経営規模の拡大によって総合力をつける必要があると考えました。効率的な生産体制の構築を目指す政府の要請もあり、沖ノ山系4社*は結束、宇部興産(株)(資本金6,973万円)が誕生しました。

* 沖ノ山系4社:沖ノ山炭鉱(宇部炭を生産)、宇部セメント製造(宇部炭を燃料にその廃土を原料に)、宇部窒素工業(宇部炭を燃料および原料に)、宇部鉄工所(炭鉱などの産業機械を生産)

担当者から一言

120年の歴史の中の1つを紹介するのは何が良いだろうかと、少し悩み、中面の特集で伝えられなかった宇部興産の誕生について触れてみることにしました。宇部興産は、経営規模の拡大によって総合力をつける必要がある、として沖ノ山系4社が集まっての大統合なのですが、なぜ規模の拡大が必要だったのでしょうか。規模の拡大が企業の発展に有効なのは現代もかわりませんが、当時ならではの背景に少し触れてみたくなったのです。
誌面「翼」 では、文字数がかなり限られているので、1つのエピソードを紹介するに留まりましたが、「そうだったんだ」と思っていただけると幸いです。かくいう私、知らないことばかりで、毎回「へ~、そうなんだ」とにんまりしつつ呟いています。
(担当:M.K.)