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「翼」第9号:宇部興産物語


宇部興産物語

中央研究所(昭和27年7月完成) 中央研究所(昭和27年7月完成)
設計は村野建設事務所、施工は大成建設(株)

中央研究所の発足
この写真は、昭和27年(1952)の中央研究所です。当時の第3代社長・俵田明は、戦争により生じた欧米諸国との産業全般にわたる技術水準の遅れを取り戻して国際社会に復帰するためには、これまでの小規模分散型の研究体制を改める必要があると説き、本格的な研究所を設立しました。産業界に研究所の建設ブームが起きたのが昭和30年代でしたので、当社のこの決断は早いものであり、「宇部興産が1億円をかけて研究所をつくった」と話題になったようです。この頃の主要研究テーマは、アンモニア合成の触媒研究やセメント混合材の研究など。広範な分野で、基礎研究から応用研究までを取り組みました。

こぼれ話

現在の宇部研究所玄関 現在の宇部研究所玄関

中央研究所が組織として発足したのは昭和26年1月10日で、同時に中央研究所評議員会を組織し、研究開発の実施計画や主要テーマなどの重要事項について審議決定する体制も整えられました。
中央研究所の建設は現在地で昭和26年7月に着工、設計は渡辺翁記念会館を設計した村野藤吾に依頼しました。村野は宇部で渡辺翁記念会館、宇部窒素工業(株)本社、宇部興産ビルを手掛けた建築家です。建物は鉄筋コンクリートの2階建てで、延べ面積2,000m2、薄紫色のタイルで外装され翌27年7月に完成しました。
写真は現在の玄関で、車寄せの屋根は、当時のままでその姿を残しています。村野藤吾(建築で文化勲章を受けている)の建築は、日本建築史に残るものも多く、その建築を研究する人や建築ファンも多い。宇部は村野の建築をまとめて見ることができるところで、この研究所の玄関も見学したいという人が訪れています。

担当者から一言

当時、時代の先端を行く研究所は研究設備も先端なら建築も時代の先端であったようですね。
(web版「翼」担当:D.T.)

窓の形や懐かしい車に魅かれ、こちらの写真を選定しました。当初、立地場所は宇部か東京かと議論が分かれたものの工場に近い宇部に決まり、最初の候補地は現在の宇部興産ビルの用地の一部だったそうです。中央研究所の発足から64年後の2016年8月、当社は21年ぶりの研究開発拠点「 大阪研究開発センター 新しいウィンドウが開きます」を堺工場内に開設しました。現在の本格的な研究開発施設は、山口地区・千葉地区・大阪地区の3拠点になります。なるほど。
(誌面「翼」担当:M.K.)